トップページ
日本語|English
プロフィール
著述/出版
ソフトウェア
RFC/I-D
雑誌原稿(公開分)
Fun
日々のメモ
リンク

RFC2555 30周年記念RFC

RFC info

RFC2555はInfomationa RFCとして1999年4月7日に公開された。 著者はRFC Editorら

文書の位置付け

本文書はインターネットコミュニティに対して情報/知識を提供するものである。 いかなるインターネット標準を規定するものではない。 本文書の配布は無制限である。

著作権表示

Copyright (C) The Internet Society (1999). All Rights Reserved.

1.はじめに(Robert Braden)

30年前、 最初のRFC (Request for Comments)文書であるRFC1がUCLAで公開された (ftp://ftp.isi.edu/in-notes/rfc1.txt)。 これこそ、 Jon Postelが28年間にわたって収集、保管、編集してきた、 現在では2,500編以上にのぼる計算機ネットワーク関連文書群の最初のものであった。 すでにJonは我々の前から去ってしまったが、 このRFCシリーズ30周年記念の辞は、 彼の多大な貢献への感謝と称賛の意を表すためにまとめられたものである。

この文書は、 現在のRFC編集者であるJoyce K. Reynoldsから寄せられた簡潔な回想で始まる。 続いて、 RFC1を執筆したSteve Crocker、 長期的な視野をもって我々を導いてきたVint Cerf、 RFCシリーズの中期に中心的役割を果たしたJake Feinlerの 3人の先駆者による回想が綴られている。

2.追想(Joyce K. Reynolds)

はるかな昔、 Jon Postelとともに IPネットワーク番号やプロトコル・パラメータの割当てに首を突っ込んでいたころ、 ゲートウェイはまだ処理能力が低かった。 EGP(外部ゲートウェイ・プロトコル)は幼年期にあり、 TOPS-20の全盛期であった。 私はRFC編集者として、 JonとともにRFC文書シリーズを計画した。 私は、 この職務から生まれた結果がどのように機能するかはほとんど知らなかった。 Jonがそれに従事しており、 彼はARPANETコミュニティのために、 黙々と文書の公開に取り組んでいた。

当時我々は、 Jonのオフィスでその日の業務について打合せをしていた。 ある日、 彼の机の片側に積んであるフォルダの山が日に日に大きくなっていくのに気づいた。 数週間経つと、 フォルダの山はこんどは2つになっていた。 Jonに訊いてみると、 これらはRFCとして公開される文書だった。 RFCとして公開するために提出される文書の数は増え続けており、 Jonはそれに遅れないようにがんばっていたのだ。

私は彼に、 仕事をほかの人に割り当てていくらか負担を減らすことを学ぶべきだと言った。 彼は熱心に耳を傾けていたが、 何も言わなかった。 その翌日、 Jonは車輪付きの計算機スタンドにあの文書の山を積んで、 私のオフィスまでやってきた。 彼は大きなチェシャ猫のようなにやにや笑いを浮かべながら、 「手放してるとこさ!」と言って出ていった。

あとに残された山のてっぺんには 赤い表紙の大きなリングノートがあり、 中には『NLS Textbook』が入っていた。 これは、 JonとLynne Sims、 Linda Satoが、 ISI (Information Sciences Institute)のTENEXシステムやTOPS-20システムで使うために用意したものである。 中身を読み進むうちに、 NLSは計算機で情報を扱う人のために設計されているシステムだということが分かった。 文書の読み書きや印刷に使われる基本コマンド群から、 情報検索や通信などに用いられる高性能なコマンド群にいたるまで、 幅広い機能を備えている。 NLSは、 Jonがものを書いたり編集するときに使っていたシステムで、 RFCの作成にも利用されていた。 私のRFCシリーズへの教化は、このようにして始まったのだった。

オペレーティング・システムや計算機は年月とともに変化したが、 RFCのスタイルや質に関して一貫性を保とうとするJonの意志は変わらなかった。 残念ながら、 Jonは自分の育てたRFCシリーズが30周年を迎える前に逝ってしまった。 しかし、 RFCシリーズの精神は新たな1000年期に入っても変わることはない。 Jonはそのことを誇りに思うだろう。

3.最初の一石:RFC1の公開(Steve Crocker)

いまから30年前の1969年4月7日に公開されたRFC1「Host Software」は、 いくつかの考察や初期の実験の概要をまとめたものであった。 ささやかでとるに足らない覚書だが、 それは大いなる第一歩の一部であり、 その影響は今日にいたるまで続いている。

RFC1が書かれた当時、 ARPANETはまだ計画段階にあった。 そのころ、 Bolt、Beranek、Newmanが 実に重要な契約をかちとった。 現在のルータの原型ともいえる、 IMP (Interface Message Processor)の構築および運用契約である。 IMPは冷蔵庫程度の大きさの装置で、 1969年の物価で約100,000ドルであった。

このネットワーク(ARPANET)は、 ARPAのIPTO(情報処理技術オフィス)が支援する研究機関で導入され、 初期ノードとしてはUCLA、 SRI (Stanford Research Institute)、 カリフォルニア大学サンタバーバラ校、 ユタ大学が予定されていた。 最初に設置されたのはUCLAで、 1969年9月1日のことである。

トポロジや専用線、モデム、IMPなど、 検討課題は数多くあったが、 これらのネットワーク・アプリケーションに関連する組織や計画は存在せず、 研究機関がなんらかの方法を考案するだろうと予想されていた。 そのおかげで、 ARPAですばらしい管理方式が生み出されることになったのだ。

すこし遡ろう。 1968年の夏のことである。 この来たるべきネットワークについて論じるために、 前出の4サイトから一握りの大学院生と教員が集められた。 その時点では、 基本的な概要しか用意されていなかった。 BBN(Bolt、Beranek、Newman)による契約獲得以前であり、 ネットワークを運用するための技術的な仕様は存在していなかった。 この最初の会合で、 各研究所での会議の予定が決められた。 これが、 今日に至っても毎年3回ずつ各地で開催されている総会の原型である。 それからの2年間でグループは十分に成長し、 ネットワーク分科会の会合には 50〜100人の参加者が詰めかけ、 会場に入りきれないほどになった。 現在のIETF総会には1,000人以上が出席し、 活動中の分科会が数十にのぼることにくらべれば、 この時代のネットワーク分科会は小さくておとなしいものだったが、 当時の我々にとっては巨大で、 管理するだけで精一杯に感じたものだ。 しかし、 まったく変わらない伝統もある。 分科会の会議への参加は、 いまも昔もまったく自由であるということだ。

集められたメンバーは、 その夏から翌年の冬にかけて数回の会合をもった。 最初のうちは、 ネットワークがどのようなものか、 ホストとどう通信するのかといった知識に邪魔されることはなかった。 それによって、 『広範で壮大な話題』について考えることが『許されていた』のか、 それとも『強制されていた』のかはご想像にまかせよう。 最終的にはメッセージ形式や他の低レベルプロトコルの詳細を扱わなければならないだろうと思いつつ、 最初に考えたのは『ネットワークがサポートするアプリケーションは何か』 ということばかりだった。 我々には、 ARPANETで使われている50KB/sの通信回線は遅いと思われたので、 そのネットワークを通じて高品質のインタラクティブなサービスを提供するのは難しいのではないかと心配していた。 それが杞憂に終ればよかったのだが!

1969年の春、 BBNがホストIMP仕様を公開すると、 『広範で壮大な』話題をさすらう自由は終りを告げた。 しかしそれ以前に、 我々は可能なかぎり汎用的な設計や わくわくするようなアプリケーションの検討を始めていた。 我々は、 セッション開始時に小さなインタープリタをダウンロードするというアイデアに心を奪われた。 ダウンロードされたプログラムが通信を制御することで、 ユーザーのローカル計算機と通信をおこなうバックエンド・システム間の 狭いバンド幅を効率よく使用できる。 このアイデアの第一発案者であるSRIのJeff Rulifsonが、 DEL(復号化−符号化言語)(RFC5)の設計を試みた。 フランスからUCLAを訪問中だったMichel Elieは このアイデアにもとづいてさらに作業を進め、 NIL(ネットワーク相互交換言語)(RFC51)に関する提案を公開した。 ここ数年間におけるJavaとActiveXの登場によって こうした初期のアイデアは実現されたが、 我々の仕事はまだ終っていない。 通信とコンピューティングの結合における目覚しい進歩は今後も続くだろう。

すでに述べたように、 初期のRFCやネットワーク分科会がIETFの基礎となっている。 現在標準化過程にかかわる者なら十分承知していることだが、 初期の作業における2つの重要な側面は記しておく価値があるだろう。 第1に、 我々が選択した技術的方向は、 複数の階層プロトコルを用いた開かれたアーキテクチャであった。 (第2に)正直にいって、 無期限に要求を満たす完璧なプロトコル群を定義できるとは(恐ろしくて)想像できなかったため、 我々は継続して発展、追加されていく過程を想定した。 そして、事実そのとおりになっている。

RFC自体もまた、 ある種の恐怖心の現れであった。 会合の数カ月後、 我々は自分たちの考えを書き留めておく義務があると感じ、 分担して最初の文書群を執筆した。 私は技術的な設計に参加するだけでなく、 それらの文書に番号を付けて配布するための単純な仕組みの準備という 管理者的な役割も受け持っていた。 私はこの集団が非公式で若く、 公認されていないものだと考えていたので、 これらの文書が対話の始まりであって 管理を主張するものではないことを強調したかった。

いまや最初のRFCが公開されてから30年が経った。 当時我々は、 RFC文書は一時的なもので、 ネットワークが動き出せばせいぜい1年以内にすべて消滅すると信じていた。 コミュニティ全体のめざましい努力と、 Jon Postel、 Joyce Reynoldsとその仲間たちの忍耐と献身のおかげで、 わずかだったRFCシリーズはここまで発展を遂げた。 RFCは、 インターネット・コミュニティで技術設計を共有するための主要な方法となり、 他のコミュニティの原型ともなった。 「魔法使いの弟子」のように、 我々は当時の最高に荒唐無稽な夢想と最悪の予想を越えた成功を収めたのである。

4. RFCs --- 偉大な対話方式(Vint Cerf)

昔々、 遠いネットワークの彼方で……。

地球という惑星が太陽をめぐる動き、 そして銀河系のなかの太陽の動きを考えると、 最初のネットワークは相対論的には遠い彼方に存在している。 太陽が銀河系を一周するのにかかる20億年という年月とくらべれば、 30年間はほんの一瞬にすぎない。 だが、 過ぎ去りし30年はなんとすばらしい日々だったことか! RFCはARPANETの、 そしてのちにはインターネットの波乱万丈の記録である。 インターネットの創始者と参加者が、 計算機ネットワークの概念や利用法、 設計上の問題を探求、発見し、 構築に構築を重ね、 議論を交わしていった過程を記した叙事詩なのだ。

試案について対話する形式をとった初期のRFCから、 より緻密に構造化された性格をもつ今日のRFCにいたる変転をみるのは たいへん楽しいことである。 電子メールや掲示板、 WWWなどのアプリケーションの発展は、 RFCの変転に大きな影響をおよぼしてきた。 また、 インターネットの規模やその波及力は、 社会構造や経済構造における変転の大きな要因となっている。 インターネットが経済的に重要になるにつれ、 RFCで文書化される標準の重要性も増し、 RFCはより公式なものになった。 技術が変化し、 作業スタイルが定着するにつれ、 対話は別の方法をとるようになりつつある。

RFCの歴史は、 共同で作業をなし遂げてきた人びとの歴史でもあり、 いまだ知られざる勇士たちの物語でもある。 30周年を記念するにあたり、 彼らに謝辞を述べる機会が得られたことは喜ばしい。 彼らのほとんどはRFC執筆者であり、 その名前を記すだけで1冊の本ができるだろう。 しかし、 ここでは紙幅に余裕がないため、 Steve Crocker、 Jon Postel、 Joyce K. Reynolds、 Bob Bradenの4人に敬意を表したい。

Steve Crockerは謙虚な人なので、 これから述べるようなことを言ったりはしないだろう。 RFC1の内容はまったくとるに足らないものかもしれない。 しかしそれを書いたことで、 彼は未知の世界への旅立ちにあたり、 勇敢かつきわめて明確な展望を持った指導力を示した。 当時、 ガイド役を果たす者はいなかった。 計算機ネットワークはできたばかりで、 我々の行く手には歴史上の里程標がほとんどなかった。 Steveには、 異なる見解を調停して統一する能力や、 トム・ソーヤのように、 他者を説得して開発過程で生じる諸問題に取り組む気を起こさせる能力があった。 その能力は、 初期のRFCや、 Steveの指導したネットワーキング分科会の会合で実見できる。

その後のインターネットに関する仕事では、 私はSteveの創造したフレームワークを見習うために最善を尽くした。 INWG(国際ネットワーク分科会)とその文書、 インターネット分科会とそのIEN(インターネット実験文書)は、 Steveの組織に関する考え方やスタイルをあつかましくもそっくり真似たものだった。

Jonathan Postelが最初からRFCへその身を捧げていなかったとしたら、 RFCが現在のような質の高い資料群になったかどうかは疑わしい。 ともかく、 Jonには『何がどのような理由でおこなわれたか』の記録が重要になるだろうと 30年前から分かっていたのだ。 論議を記録しようとしたのは、 我々のくだしたなんらかの結論について、 そこにいたるまでの過程を不思議に思う (そしておそらく首を横に振るだろう……) 将来のネットワーク関係者のためだったのは言うまでもない。

JonはネットワークのBoswell (訳注: 18世紀に、英国文化の巨頭でありながら 自分では何も記録を残さなかったJohnson博士という人物がいた。 Boswellはその友人で、Johnson博士の伝記を書いたことで有名。 )であった。 しかし(それだけではなく)、 彼が献身的情熱を注いで質の向上に努め、 さらには技術と編集の両面で目覚ましい能力を兼ね備えていたからこそ、 現在TCP/IP標準として知られるものを扱った、 記録というより記念碑としてのRFCが数多く広まったのである。 多くの問題のある設計方針が、 Jonの(編集者としての)不屈の決意を示す、 「皆がそれを『正しい』ものとして受け取るのだから」という言葉に従って作りなおされた。 彼は、 自分自身の品質フィルタを通らないものを絶対に公開しなかった。 ときに我々は嘆き、訴え、叫び、熱弁したが、 ほとんどの場合、 最後にはJonが正しかったことが分かるのだった。

Joyce K. Reynoldsは、 JonがRFC編集者を務めていた間、 ほとんどつねに彼の側にいた。 JonとJoyceは1対の超伝導状態の電子のように調和しつつ機能した。 彼らはRFCシリーズの超伝導体だった。 実際に、 あるRFCを2人のうちどちらが編集したのかを判断することは不可能だった。 Joyceの質に対する情熱はJonの情熱と合致していた。 そして、 その情熱は今日まで続いている。 彼女は、 Jonが編集者であったころにひょっこりみせたのと同じ、 繊細でいたずらっぽいユーモア感覚も備えている。 個人的に感動したのは、 私がJonを追悼するために書いたRFCを Joyceが2468番 (訳注: 米国における慣用表現 "Two, Four, Six, Eight, who do we appreciate?" をもじったもの。 様々な場面の応援や掛け声に使われる。 Jonへの声援を示すのだろう。) に割り当てたことだ。 私はそんなことを考えもしなかったし、 あまりにこっそりとおこなわれたために、 誰かが私に電子メールを送ってきて、 これは偶然の一致なのかと訊かれたときまで、 ピンとくることもなかった。 伝統的な推理小説と同じように、 それは編集者のしわざだったのだ。

RFCサーガのなかでまだ讃えられていないもう1人の勇士はBob Bradenである。 彼もSteve Crockerと同じく、 永続的かつ記念すべき貢献を果たしたのにもかかわらず、 それに似合わず謙虚な人である。 私のみるところ、 RFCの質が高かった理由は、 多くの場合JonとJoyce、 Bobを含むUSC(南カリフォルニア大学)/ISIチームでの協議に求められる。 もちろん、 彼が執筆、 編集したRFC1122とRFC1123は、 インターネット標準の明確化に大きく貢献したRFCである。 その仕事だけをみても、 Bobは深く感謝されてしかるべきだが、 さらに彼はEnd-to-End研究グループを長年にわたって率いている。 End-to-End研究グループは もっとも重要なRFCのいくつかを送り出し、 TCPをはじめとするプロトコルの最良の実装に関する理解を深めるのに役立っている。

RFCが書かれ始めたころ、 RFCの執筆者と読者にとって、 それはほとんど前世紀的な性格をもっていた。 つまり、 ARPANETで使われるさまざまなプロトコルの設計案の利点について論じるために、 公の場で交わされた書簡だったのである。 ネットワークという豊かな織物から電子メールや電子掲示板が生み出されると、 互いに遠く離れていたこの歴史的会話への参加者たちは、 しだいにオンライン媒体を利用して論議するようになった。 それにともない、 RFCで論議を記述する必要性は減り、 ある意味では、 十分に議論されてあまり検討の余地のなくなったものが歴史家たちに残されるようになった。 RFCは徐々に議論を示すものでは結論そのものになっていったのだ。

Jonは、 純粋に技術的な文書以外をRFCシリーズとして公開することを許した。 そのため、 ネットワーク分科会が準備した文書に交じって、 詩やユーモア(とくに、いまでも公開時に劣らず滑稽なエイプリルフールRFC)、 価値のある参考資料の転載などもみられる。

1970年代初頭、 ARPANETにおけるパケット・スイッチング技術というアイデアがすばらしい成功を収め、 ARPAはいくつかの並行する研究をこの技術に統合しようとしていた。 そのなかには、 Packet Radio Network(パケット無線ネットワーク)、 Atlantic Packet Satellite Network(大西洋パケット衛星ネットワーク)、 Internet project\kakko{インターネット計画}があった。 各研究機関では、 PRNET文書、 ARPA衛星システム文書(SSN:分かりやすくて不運なイニシャル (訳注: 原子力潜水艦の意。 )だ……)、 インターネット実験文書(IEN)などが作成されていた。 これらはRFCと同じようなものだが、 別個に作成されていた。

1983年1月、 ARPANETや他のDARPAが資金援助しているネットワークでは、 インターネット(the Internet)のプロトコル群を利用するよう命令が出され (実際には、それ以前にSATNETでは変更されていた)、 インターネットに関連する文書はRFCシリーズに統合された。 インターネット計画が実を結ぶだろうと思われてからも、 しばらくのあいだはIENがRFCと並行して発行されていた。 Danny Cohen\kakko{当時Jon PostelとともにUSC/ISIにいた}のように、 シリーズを分けるのは間違いであり、 1つのシリーズを維持したり検索するほうがずっと簡単だろうと提案した人たちもいた。 いまになって思うと、 Dannyが正しかったことが証明されたようだ。 RFCシリーズとその献身的な編集者たちは、 短命に終った他のシリーズよりもずっとよく時の試練に耐えているからである。

RFCの機構は発展を続けるインターネットと結びついているので、 RFCは環境の変化に適応するのだろう。 おそらく、 もっとも影響が大きかったのは、 IETFが有力な世界規模のインターネット標準開発機構に発展したことだと思われる。 IAB (Internet Activities Board)は、 多くのタスクフォースの議長の集団である。 IETFはそれらのタスクフォースのたんなる1つという立場から、 IESGによって管理されるようになった。 そして、 インターネット・コミュニティの保護のもとで活動するようになったのである。

『標準過程』RFCの生成過程は、 いまや昔よりずっと厳格であり、 成長を続ける業界に以前よりはるかに大きい影響を与えるものとなった。 また、 比較的非公式な\jquote{ID (Internet Draft)}シリーズも生まれている。 これは、 IETF分科会の作業方針を形成する短命な文書群である。

初期のRFCの特徴として挙げることができた『討論』は、 しだいに、 年に3回開かれるIETF総会や膨大な量の電子メールによる議論にとって代わられた。 最近では、 チャットルームで、 マルチキャスト会議(ホワイトボードをはじめとするアプリケーション) を共有しておこなわれる集団対話型の作業も増えている。 インターネットはさまざまな場所で並列的に発展している。 さらに、 インターネットの発展に関与するちょっとした会話も増加傾向にある。 これらの現象は、 WWWによるきわめて効率的な情報の蓄積によってどうにかバランスがとれているとはいえ、 この分野の歴史家の任務は以前にくらべてずっと難しくなってきている。

ちょっとした検索をするだけで、 驚くべき、 そしてときには当惑するような古い覚書が偶然出現することもある。 その多くは、 当時は紙に書かれたものが、 のちの気概に満ちたボランティアたちによって電子情報に変換されたものである。

RFCは、 30年前にまったく試験的に始められ、 USC/ISIでJon Postelとその同僚たちによって根気強く編集、保管され続けた。 そして、 続々と増えるInternaut(インターネット航行者)たちの優れた探究や業績、 献身の物語を綴るのである。 その使命は、 インターネットが真にすべての人のものになるまで終らない。 この回想は、 その精神にもとづいて、 そしてとくに我々がこよなく愛した同僚であるJon Postelを偲んで記したものである。 この『アーカイブ(RFCシリーズ)』に対する彼の献身がなければ、 ここで語られた内容はひどく異なったものとなり、 とうてい目覚ましいといえるものではなかっただろう。

6.私の好きなRFC --- 最初の30年(Celeste Anderson)

5年前、 Jon Postelと私はRFC 25周年を記念する本を発行したいと考えた。 しかし、 2人とも他のプロジェクトの作業で忙しすぎた。 そのとき、 30周年記念には、 それまでに公開された独創的な意見を集めて、 『RFC編集者が選んだRFC 30編』として祝おうと決めた。

1998年10月のJonの時ならぬ死によって、 我々はその目的を果たせなくなった。 しかし、 我々はRFC1をはじめとする初期のRFCのいくつかをオンライン化する作業を始めていた。 オンライン化したRFCを、 タイプで作られたもとの文書に似せるか、 それとも最近のRFCの形式に従って調整と整形をおこなうかについては決めていなかった。 いまだにRFC1の複製を持っている読者がいたら、 我々がオンライン版をNROFFするためにおこなった譲歩に気づくだろう。 また、 初期のRFCの手書き図版をASCII形式に変換するのも興味深い試みである。

RFC編集者を手伝って初期のRFCを多数オンライン化する機会はまだある。 このプロジェクトに関する詳細な情報については、 以下のURLを参照してほしい。
http://www.rfc-editor.org/rfc-online.html

Jonを記念するため、 来年の「私の好きなRFC --- 最初の30年」発行に向けて本を制作中である。 投票を表にして応答を記録するため、
http://www.rfc-editor.org/voterfc.html
にWWWのインターフェイスが用意されている。 また、 電子メールでも投票を受け付ける。 電子メールでの応答はvoterfc@isi.eduに送ってほしい。 投票には、 そのRFCを選択した理由を付けてもらえるとありがたい。

我々は、 Jon Postelが生前にこのコレクション用に選択していたRFCをリストに加える権利を保有している。 投票の締切りは1999年12月31日である。

7. セキュリティに関する考察

この記念RFCではセキュリティに関するの事柄は議論されていない。

8. 謝辞

Thank you to all the authors who contributed to this RFC on short notice. Thanks also to Fred Baker and Eve Schooler who goaded us into action. A special acknowledgment to Eitetsu Baumgardner, a student at USC, who NROFFed this document and who assisted in the formatting of RFCs 1, 54, and 62, converting hand-drawn diagrams into ASCII format.

9. 著者の連絡先

   Robert Braden
   USC/Information Sciences Institute
   4676 Admiralty Way #1001
   Marina del Rey, CA 90292

   Phone:  +1 310-822-1511
   Fax:    +1 310 823 6714
   EMail:  braden@isi.edu

   Joyce K. Reynolds
   USC/Information Sciences Institute
   4676 Admiralty Way #1001
   Marina del Rey, CA 90292

   Phone:  +1 310-822-1511
   Fax:    +1 310-823-6714
   EMail:  jkrey@isi.edu

   Steve Crocker
   Steve Crocker Associates, LLC
   5110 Edgemoor Lane
   Bethesda, MD 20814

   Phone:   +1 301-654-4569
   Fax:     +1 202-478-0458
   EMail:   crocker@mbl.edu

   Vint Cerf
   MCI

   EMail: vcerf@mci.net

   Jake Feinler
   SRI Network Information Center
   1972-1989

   EMail: feinler@juno.com

   Celeste Anderson
   USC/Information Sciences Institute
   4676 Admiralty Way #1001
   Marina del Rey, CA 90292

   Phone:  +1 310-822-1511
   Fax:    +1 310-823-6714
   EMail:  celeste@isi.edu

10. 付録 - RFC 1

   The cover page said at the top:

     "Network Working Group
      Request for Comments"

   and then came an internal UCLA distribution list:

     V. Cerf, S. Crocker, M. Elie, G. Estrin, G. Fultz, A. Gomez,
     D. Karas, L. Kleinrock, J. Postel, M. Wingfield, R. Braden,
     and W. Kehl.

   followed by an "Off Campus" distribution list:

     A. Bhushan (MIT), S. Carr (Utah), G. Cole (SDC), W. English (SRI),
     K. Fry (Mitre), J. Heafner (Rand), R. Kahn (BBN), L. Roberts (ARPA),
     P. Rovner (MIT), and R. Stoughton (UCSB).

   The following title page had

     "Network Working Group
      Request for Comments: 1"

   at the top, and then:

               HOST SOFTWARE

               STEVE CROCKER
               7 APRIL 1969

11. 完全な著作権表示(抄訳)

"Copyright (C) The Internet Society (1999). All Rights Reserved."

本文書とその翻訳は、 複製および他に提供することができる。 また、 この文書に論評や説明を加えたり、 その実装を補助するものは、 上記の著作権表示およびこの節を付加していれば、 全体あるいは一部であってもいっさいの制約を課されることなく作成、 複製、発表、配布できる。 ただし、 この文書自体に対して、 著作権表示やインターネット・ソサエティもしくは 他のインターネット関連団体への参照を取り除くなどの変更を加えてはならない。 インターネット標準化過程で定義されている著作権のための手続きに従って、 インターネット標準を開発するために必要な場合や、 RFCを英語以外の言語に翻訳する必要がある場合はそのかぎりではない。

上記の制限は永続的なものであり、 インターネット・ソサエティもしくはその継承者や譲渡者によって取り消されることはない。

本文書とここに含まれた情報は(無保証(AS IS))で提供され、 インターネット・ソサエティおよびIETFは すべての保証を明示的にも暗黙的にもおこなわない。 そのなかには、 この情報がいかなる権利も侵害していないという保証や、 商用利用および特定目的における適合性への保証が含まれる。

11. Full Copyright Statement

Copyright (C) The Internet Society (1999). All Rights Reserved.

This document and translations of it may be copied and furnished to others, and derivative works that comment on or otherwise explain it or assist in its implementation may be prepared, copied, published and distributed, in whole or in part, without restriction of any kind, provided that the above copyright notice and this paragraph are included on all such copies and derivative works. However, this document itself may not be modified in any way, such as by removing the copyright notice or references to the Internet Society or other Internet organizations, except as needed for the purpose of developing Internet standards in which case the procedures for copyrights defined in the Internet Standards process must be followed, or as required to translate it into languages other than English.

The limited permissions granted above are perpetual and will not be revoked by the Internet Society or its successors or assigns.

This document and the information contained herein is provided on an "AS IS" basis and THE INTERNET SOCIETY AND THE INTERNET ENGINEERING TASK FORCE DISCLAIMS ALL WARRANTIES, EXPRESS OR IMPLIED, INCLUDING BUT NOT LIMITED TO ANY WARRANTY THAT THE USE OF THE INFORMATION HEREIN WILL NOT INFRINGE ANY RIGHTS OR ANY IMPLIED WARRANTIES OF MERCHANTABILITY OR FITNESS FOR A PARTICULAR PURPOSE.

翻訳に際して発生する翻訳著作権に関する表示

翻訳に際して発生した翻訳著作権は翻訳者である私(Yojiro UO <yuo@nui.org>)が保持します。 翻訳文中にある『翻訳に際して発生する翻訳著作権に関する表示』を維持 する場合に限り、配布、入手に関する権利は原著作権表示に従います。
last-modified: Sunday, 08-Aug-2004 20:14:34 JST
Copyright (C) 1997-2002 Yojiro UO

Valid HTML 4.01! Valid CSS!

Your connection: via IPv6!